読売の社説にキャリア教育の重要性について述べられていた。引用する。
社説:職業指導 体系的なキャリア教育を
大学、短大教育で「職業指導」(キャリアガイダンス)が義務づけられた。文部科学省が設置基準をそう改め、11年4月から施行する。既に大半の大学、短大には、学生の相談を受けて情報も提供する就職支援センターや講座などがある。しかし、不況による就職難に加えて、大卒就職者の3人に1人以上が3年以内に辞める離職率の高さが大きな課題になっている。
このため学内が連携して、学生の社会人としての資質を高め、職業的自立に必要な能力を培う指導を教育課程に位置づけようというのである。抽象的だが、一部の部署が担ってきた就職活動支援だけではなく、正規の教育として目的意識や主体的な選択能力を育てるということだ。
各校はもともと建学の理念や文化が異なるのだから、職業指導もその個性や実情に即して創造、工夫されなければならない。文科省も画一的な内容の押 しつけはしない。各校が腐心することになるが、取り組み実態と成果は定期的に外部の認証評価機関にチェックされ、結果は志願者数を左右する可能性がある。
大学がそこまでやらなければならないのか、という嘆息もあるかもしれない。だが、大学、短大進学率が5割を超して久しい今、必ずしも学生たちが入学先の選択で将来の職業を思い描いているわけではない。目的がはっきりしないままだと、結局高い離職率の一因になる。
今回の措置は政権交代後の昨年10月、政府の緊急雇用対策本部が打ち出した新卒者支援策に基づく。現状からは、このようなテコ入れは産業界からも歓迎されるはずだ。しかし、大学入試の段階でさえ目的意識が乏しい若者が少なくない現実を考えれば、こうした指導は高校や中学校にもさかのぼって、もっと体系的に行われるべきだろう。
中央教育審議会は学校教育の早い段階から勤労観、職業観をはぐくみ、関心や意欲、適性を引き出す「キャリア教育」について審議しているが、学校現場にも論議を広げたい。また継続的な進学率の高まりで、今の学校体系は、大学受験を主軸に“単線化”した観がある。それを見直し、多様な進路選択の幅を広げる職業教育のあり方を探り、新しい可能性も論議すべき時ではないか。
今回の大学、短大教育での職業指導の義務化は、こうした課題へ大きな一石を投じるかもしれない。
なぜなら、突き詰めていけば、論議はカリキュラム全体の見直しや入試の改善にも及び、さらにはその前の段階での教育のあり方にも広げざるを得なくなるはずだからだ。そうした相乗的な教育改革効果も期待したい。
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キャリア教育が大学・短大で義務化されるのだが、そこまでやる必要があるのか、という議論もあると思う。しかしながら、長年にわたって大学生の就職支援を行って来た経験から、「就活時期になって就職を意識」するのでは遅い、というのが実感で、もっと早めに、恒常的に将来の事を考えたり、仕事意識をつける事が必要だと強く思っている。
戦後の高度成長期時代は新たな職場や職業、業界がどんどんと形成されていた時であるから、とにかく身を粉にして働くうちに自分の職業観などが形成され、その仕事を転職と思えるような人々が多数育成されていたと思う。だから、学生時代は学生としている事でよかった。
しかし、今や日本経済は高度成長から慢性的な水平飛行状態にあり、アジア諸国の急角度の成長と比較すると、言われた事を素直にこなしていればいい、という国内情勢ではない。人の倍、いやアジアの何倍も働こう、常にリーディイングカントリーであろうと言う意識を持たなければ、日本経済そのものが弱体化するはずだ。このような中で、卒業時期まで職業意識のかけらも認識せず、「就活」さえすれば「理想的な」仕事に巡り会えるかもしれない、という常識的な就職活動思考がもはや時代遅れてになっているのではないか。
ようするに、自分の未来や、日本の未来、そして自分の成すべき事に関して、エントリーシートを書くときまで考えた事が無い、という状況は危機的であると言う事を認識すべきであろう。
もっと早い時期から日常のあらゆる場面で職業意識をもち、卒業後のイメージを摑む訓練が必要だ。
私の尊敬する知人は日本で「未来塾21」という学生とのインタラクティブな実社会勉強の場を作っているが、そのようなボランティア的な動きだけでなく、民間でもキャリア教育を積極的に行いたいと思う。
特に、海外大生に対しては浦島太郎(花子)にならない様にするためにも、積極的なキャリア教育が必要になる。
それ以上に、学生ひとりひとりが認識を高めなくてはならない。
今や企業が「学生時代に頑張った事」を聞くのは:
「実社会の厳しさを想像すると震えが来ますが、学生時代には本当に命がけでこれだけの事をして来たので、まだまだ甘いとは思うが、実社会の現実に物怖じせず、真っ正面からぶつかって会社や社会に貢献したい」
と言う決意を表して欲しい、ということだとおもう。
応援のしがいのある時代になった。
